合掌造り家屋減少の時代

 もともと白川村には大正期に300棟あまりの合掌造り家屋がありました。これは当時の村内の総戸数の75%に相当する棟数でしたが、戦後の昭和26年には約45%と半数以下に低下します。その後昭和36年には191棟に減少し、30%近くが一挙に消滅することになります。その原因は、主として庄川筋の電源開発用のダム建設に伴うもので、昭和27年~33年にかけて庄川下流から着工された建設により尾神、秋町、福島及び牧の合掌造り集落が姿を消します。その後昭和45年には133棟とさらに減少を続けます。この時期はダム建設に区切りがついたものの、日本経済の高度成長期を迎え、大手企業による山林買収等により過疎化、解体化が急速に進みます。同時に養蚕需要の失速も拍車をかけ、非合掌家屋への建て替えも進行していきました。

鳩谷ダム建設時の大牧集落

合掌造り家屋を文化財に

 合掌造り家屋が減少していく中にあって一方で合掌造り家屋に対する文化財としての認識も高まっていきます。そうした機運の中で、まず御母衣の大戸家(昭和31年)・遠山家(昭和46年)が国の重要文化財に指定され、荻町の明善寺鐘楼門・庫裏が県指定文化財(昭和43年)というように、文化財として保存策が講じられていきます。離村した集落から合掌造り家屋を移築公開した「合掌村」(現野外博物館合掌造り民家園)の建設もこの時期に着手し昭和47年に開村します。こうしてこの時期に合掌造り家屋の文化財的な価値が村内外から再認識されていきます。

県指定文化財となった明善寺庫裡
開園当時の合掌村。村人総出の石場カチ作業。
当時国が実施した緊急民家調査で注目された芦倉集落
昭和42年に集団離村した加須良集落
合掌造りを守る気持ちが育まれた時代。

守る会の誕生

 昭和40年代当時の白川村は近世・近代と主産業であった養蚕にとって代わる産業の転換期でした。当時の村政では養蚕・畜産・米を三本柱とする農業振興に取り組んでいましたが養蚕に関しては昭和47年から下降線をたどり、昭和54年には行われなくなります。一方で国道改良、白山スーパー林道、東海北陸自動車道などの交通革命を迎え、村民の観光立村への期待感が高まった時期でした。
 こうした背景の中で、当時長野県中山道の妻籠宿では宿場の町並み保存運動が展開され、この活動の推進役であった小林俊彦氏と交流するなかで、妻籠宿に学びながら合掌造り集落の保存を「観光立村」の軸に据える構想が固まっていきます。
 そして、いよいよ昭和46年12月25日「白川郷荻町集落の自然環境を守る住民憲章」を掲げ、住民保存会「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」通称「守る会」が結成されます。住民憲章では合掌造りとその周辺の自然環境を「売らない」「貸さない」「壊さない」を保存の三原則とし、目的の中で「観光資源の活用による地域の産業振興につながる」という守る先にある明確なビジョンを村民に共有しています。荻町の人々はこの住民憲章の理念を守り続け、半世紀のあいだ合掌造りの集落景観保存に取り組んできました。

住民憲章
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守る会設立当時の青年層
当時の荻町合掌集落

国内初の重要伝統的建造物群保存地区の選定

重伝建事業により放水銃設備を整備

 荻町の保存は住民主体の活動として始まりましたが、一方で合掌造りの屋根の葺き替えや軸組の修理にかかる経費負担の課題がありました。しかし、守る会結成当時の日本には集落保存を支援する仕組みがなかったため、守る会は直接国に陳情に行くなど、積極的な働きかけを行いました。当時のこのような守る会の活動などが町並み保存に対する社会の機運を高め、昭和50年の文化財保護法の改正で「重要伝統的建造物群保存地区(以下重伝建地区)」制度が創設されます。重伝建地区が創設された翌年の昭和51年、妻籠、山口県の萩、京都産寧坂などを含む7地区が選定をうけ、荻町はそのうちの一つとしてに重伝建地区に選定されます。

世界遺産登録

 重伝建地区に選定され行政的な支援が整い、防災事業や保存修理事業など集落保全に向けた事業が積極的に実施されていきます。守る会の住民保存運動を基盤としたこれらの取り組みが実を結び、平成7年(1,995)には世界文化遺産登録を受け、今では年間観光客数200万人を超える観光地に成長しました。日本の世界遺産の中では生活集落そのものが世界遺産であるという例は他にはなく、「生きた遺産」として注目を集めてきました。こうして養蚕民家として生まれた合掌造り家屋は、この半世紀にわたる「守る会」の保存の取り組みにより新たな息吹を与えられ、白川村を持続可能な村へと導いてくれています。

白川郷が世界遺産となったベルリン開催の世界遺産委員会

守る会の取り組み

 白川郷荻町合掌造り集落の景観は守る会の日々の努力により守られています。現代の社会において、伝統的な町並み・集落を保存していくことは、そこに生活する人々の自発的な保存意識がなければ成り立ちません。守る会は荻町に生活する全ての人々が会員であり、会員ひとりひとりの保存意識の持続により半世紀の間守られてきました。

 守る会の活動に、毎月開催の「守る会定例会」というものがあります。重伝建地区では建物の増改築、土地の形質の変更など現状から変わる行為をする際には白川村教育委員会に対し「現状変更申請」による届け出が必要です。「守る会定例会」では、日々提出されるこの現状変更申請が保存地区の基準に沿ったものになっているかをチェックし協議しています。
 基準にそぐわない案件には「守る会意見書」により守る会の意見を付して教育委員会に提出され、教育委員会はその意見書を元に最終判断を行い、申請者に対し許認可をだすという仕組みになっています。基準にそぐわない案件については、厳しい指摘が飛び交う場面も多々あります。

守る会定例会の様子

荻町は7つの組で構成されており、それぞれの組の守る会役員が毎月集まります。

 この「守る会定例会」には荻町の各組の守る会役員と、民宿組合や土産物組合などの各営業組合からの役員、青年会代表、女性会役員などが参加します。特に各組の守る会役員は2年の任期で交代するため、ある固定の人が常に参加するということではなく何年かに一度はこの役割が回ってきますので荻町の全ての家ではこの守る会役員を経験しています。集落に住む多くの人がこのような自発的な議論に参画して議論を重ねてきた歴史が、いまある世界遺産合掌造り集落の景観をつくりだしていると言えるのです。

(一財)世界遺産白川郷合掌造り保存財団

 平成7年の世界遺産登録を受け世界遺産地区の保存推進を目的に平成8年に岐阜県・白川村共同出資による(一財)世界遺産白川郷合掌造り保存財団(以下合掌財団)が設立されました。世界遺産地区の行政的な保存事業は防災事業や合掌造りの屋根の葺き替え、軸組の根本修理など、国の支援を受けながら実施していますが、合掌財団の事業では、合掌造りの棟の茅の置き換え、差し茅などのメンテンナンス修理や、合掌造り以外の建物への修景的な工事に対する支援を行っています。その他にも休耕地となってしまった農地の復旧事業や守る会に対する活動費支援、保存に関わる各種調査事業なども行い、世界遺産地区に必要なきめ細やかな事業展開ができる体制となっています。

合掌造りは毎年春先に棟の茅を置き換えるため
その経費の支援を行っています。

冬の間の積雪などにより引き抜かれて穴になった箇所に差し茅を行います。

休耕地復旧前
休耕地復旧後

 財団の行うこれら事業の原資は世界遺産地区対岸の公共駐車場「せせらぎ公園駐車場」の駐車場料金を原資としており、この駐車場の管理運営も合掌財団が担っています。合掌財団は世界遺産地域から日々求められる保存に対する支援要請に対し、村独自の財源を活用し、きめ細やかに、かつ柔軟に対応しながら世界遺産地区の保存支援を展開してきました。

せせらぎ公園駐車場の駐車場料金が保存事業の財源となっています。