世界遺産としての価値

合掌造り家屋の写真

合掌造り家屋は木造建築文化が発達した我が国において、最も発達した過程を見ることができる合理的な民家です。

 日本は世界の中でも、木造建築の文化が発達した最も重要な国の一つです。天皇の宮殿や貴族の住宅、社寺仏閣などの宗教建築をはじめ、武士の時代の軍事施設であった城郭までも木でつくられていました。

 同様に日本では、民衆の住居である民家も、ほとんどすべてが木造でつくられていました。民家は主に都市の商家と農村や漁村の住居に分類されますが、本遺産は農村集落とその住居群です。

 日本の農村住居は、平入り、平屋建、真壁の土壁、茅葺き、寄棟屋根が主流です。しかし、妻入り、大壁、板壁、板葺き、入母屋または切妻屋根の民家もあり、これらの組み合わせによって、各地に地方色豊かな民家建築が生まれました。これらの多様でそれぞれに完成度が高い民家建築は、日本が普遍的価値を持つ世界の遺産として誇ることのできるものの一つです。

 日本の農村の住居の形態は多様であるが、全体として見た場合、あるイメージに集約されます。すなわち、規模はあまり大きくなく、棟の高さも低く、屋根も傾斜がそれほど急ではなく、地に伏せるような形で、自然に対峙せず、自然に融合するような姿です。

 これに対して白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋は、日本のどの地方にも見られない極めて特異な形態で、また、日本で最も発達した合理的な民家の1つの形態であると言えます。

白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋は、
どの地方にも見られない極めてユニークな形態です。

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 他の地方の農家に比べ規模が大きく、屋根は勾配が60度近くもある急傾斜の茅葺き切妻屋根で、自然に対抗するようなイメージの外観をもっています。

勾配が60度近くもある急傾斜の茅葺き切妻屋根の写真
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 日本の一般的な民家では小屋内(屋根裏)は通常利用しませんが、合掌造り家屋では、小屋内を2~4層として、養蚕の作業場として積極的に利用しています。急勾配の屋根や叉首構造であることも小屋内の空間を大きくとるためのもので、また、切妻屋根としたことも、妻に開口部を設けて小屋内に風と光を確保するためです。これらのことは日本の中では極めて異例です。

養蚕の作業場として利用される合掌造りの写真
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 叉首構造で切妻とし、急勾配としたことからくる構造上の弱点を屋根野地面に筋違いを入れて野地を一体化することによって補強しています。この工夫も、他の地域では決してみることのない技術です。

屋根野地面に筋違いを入れて野地を一体化することによって補強している写真
屋根野地面に筋違いを入れて野地を一体化することによって補強している写真
屋根野地面に筋違いを入れて野地を一体化することによって補強している写真

日本に残された最後の秘境

 白川郷と五箇山地方は日本の中山間地帯の急傾斜の山と谷に囲まれた、非常にアクセスしにくい地域であり、1950年代までは地域外との交渉は極めて限られ、かつては「日本に残された最後の秘境」と称されていました。

 こうした理由から、庄川によって結ばれた白川郷と五箇山には、浄土真宗という同一の信仰による精神的絆を基礎とした社会制度や生活習慣において、大変ユニークな文化圏が形成されました。そのユニークな文化の最も顕著な事象が「合掌造り」と呼ばれる規模の大きな切妻造り茅葺きの民家と、これらの群によって構成される特異な農村景観です。

白川郷と五箇山地方に限って見られる合掌造り家屋の写真
鳩谷ダム建設時(昭和31年頃)の合掌造り解体(写真:細江光洋撮影、岐阜県美術館所藏)
白川郷と五箇山地方に限って見られる合掌造り家屋の写真
鳩谷ダム建設時(昭和31年頃)の合掌造り解体
(写真:細江光洋撮影、岐阜県美術館所藏)

極めて希少な存在

 合掌造り家屋は白川郷と五箇山地方に限って見られる民家形態で、しかも、その数が最も多かった19世紀末においても、総数約1,850棟という極めて少数でした。これは当時の日本の農家の戸数が約550万戸であり、それとの割合(0.03%)でいえば、極めて希少な存在でした。

 きわめて少数ではありましたが、しかし、豊かな地方性を示していたこの地域の合掌造り家屋とその集落は、太平洋戦争後の日本の急激な経済発展による社会情勢の変化によって急激に減少し、白川郷と五箇山地方の合掌造りとその集落は、壊滅的な状況となりました。

 こうした状況の中にあって、かつての集落景観を保持しているのは、保護措置がとられている荻町、相倉、菅沼の三集落のみです。

世界遺産登録に必要な
「顕著な普遍的価値」

 世界遺産に登録されるためには「歴史上、芸術上、民族学上または人類学上顕著な普遍的価値を有するもの」であることを求められます。この「顕著な普遍的価値」の審査のために、世界遺産条約に定められた6つの価値基準の内、その一つ以上を満足すると同時に、真正性(authenticity)に関する審査にも適合しなければなりません。

 本遺産は文化遺産の価値基準の内Ⅳ及びⅤに該当する「顕著な普遍的価値」を有することが証明されました。

人類の歴史上の有意義なステージを例証する、ある形態の建造物、建築物の秩序ある集合、または景観の顕著な例であるもの

ある文化を代表するような伝統的集落または土地利用の顕著な例であり、特に元に戻ることができないような変化の衝撃によって、すでに価値を損ねやすい状況にいたっているもの

荻町、相倉、菅沼の3集落の写真
荻町、相倉、菅沼の3集落の写真2
荻町、相倉、菅沼の3集落の写真3
荻町、相倉、菅沼の3集落の写真
荻町、相倉、菅沼の3集落の写真2
荻町、相倉、菅沼の3集落の写真3

荻町、相倉、菅沼が「顕著な普遍的価値」を証明する理由

01

 荻町、相倉、菅沼の三集落は、ほとんど消滅してしまった合掌造り集落のなかで、かつての集落景観を残すわずかな集落であること。

02

 3つの集落を一連のものとして保存することにより、このような集落が、ある地域的な広がりを持った文化圏を形成していたことを示す証拠となること。

03

 3つの集落はそれぞれ、規模の大きな集落、中規模の集落、小規模の集落の好例であり、集落の規模の大小の多様性があったことを示す証拠となること。

04

 同じ合掌造りの家屋においても、白川郷の家屋は平入りであるのに対して五箇山は妻入りであり、妻に庇をつける五箇山に対して白川郷はつけない。
あるいは妻の小屋部壁面に傾斜をつける白川郷に対し、つけない五箇山、屋内に土間のある五箇山に対して、ほとんど土間をとらない白川郷など、地域による相違があり、白川郷と五箇山の合掌造り家屋を保存することは、狭い同一の文化圏内においても、地域により差異があったことの証拠となること、また、附属屋にハサ小屋が多い荻町と、ハサ小屋ではなく、土蔵の存在が目立つ相倉、菅沼では、集落の景観に差異があること。