合掌造りの構造

軸組部は大工、小屋組部は「結」で

 合掌造り家屋の軸組部と小屋組部の構造的な明確な分離は、合掌造り家屋の建築の方法に関わっています。つまり、この地方では、軸組部は専門的な技術を持った大工の仕事ですが、礎石の据え付けと小屋組部と屋根の材料の確保、加工、組み立て、葺き上げは、伝統的な互助制度である「結(ユイ)」で行われます。したがって、軸組部の部材は台鉋等によって丁寧に仕上げられ、多種の仕口や継手によって組み立てられますが、小屋組と屋根は、丸太材のまま斧か手斧による粗い仕上げとなり、部材の組み立ても藁縄やマンサクの木(ネソ)で結ぶだけと軸組部と小屋組部では明確な仕事の違いが見られます。
 軸組部は大工を雇うため建築費用が必要となりますが、小屋組部と屋根葺きについては村人の「結」によるため費用がかかりません。こうした専門的な仕事と相互扶助による仕事の明確な分離も、この地方独特のもので他ではみられないものです。

軸組部は大工、小屋組部は「結」で

軸組部は大工、小屋組部は「結」で設計されていることを表す図

―― 能登大窪大工の活躍

能登大窪大工の活躍の図
大窪大工の活躍
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―― 能登大窪大工の活躍

 白川郷・五箇山地方の合掌造り家屋の建築には加賀藩御抱えの大工集団「大窪大工」が深く関わってきたといわれています。大窪大工は近世初頭に越中と能登の堺、氷見郡大窪村とその周辺に定住した大工集団です。加賀藩前田利家によって召し出され、御抱大工として繁営の御用を勤める堂塔大工でした。

 しかし、元禄期に入って以後、民間における建築工事が盛んとなり、繁営工事の余暇を利用して、民間の建築工事にも積極的に進出し始めるようになりました。その活動範囲は次第に拡大され、越中、加賀、能登をはじめ飛騨にまで及ぶようになります。五箇山をはじめ白川郷に至るまで大窪大工の手による社寺や民家は多く、棟札や普請帳が残されています。代表的なものに五箇山の旧上平村皆葎の住吉神社社殿(1719年建築)、小瀬の羽場家(1814年建築)、重文岩瀬家住宅(1825年建築)、白川郷の重文旧遠山家住宅(1850年建築)、重文旧大戸家住宅(1833年建築)、旧太田家住宅(1842年建築)などがあげられます。

重要文化財岩瀬家住宅(五箇山赤尾)の写真
重要文化財岩瀬家住宅(五箇山赤尾)
行徳寺庫裡(五箇山赤尾)の写真
行徳寺庫裡(五箇山赤尾)
重要文化財旧遠山家住宅(白川郷御母衣)の写真
重要文化財旧遠山家住宅(白川郷御母衣)
重要文化財旧大戸家住宅(白川郷御母衣)の写真
重要文化財旧大戸家住宅(白川郷御母衣)

軸組部の構造

 基礎は自然石の礎石とし、その上に角柱をひかり付けて、1間または1間半間隔で密に立て、頂部を桁と梁で固め、途中に多くの貫と差し鴨居を入れて、軸部を強固に固めています。壁は板壁で一面を壁とする場合は内法貫より上は板を貫にはめ込んだ板小壁、下が貫の外側に縦板を張り形式が多く用いられています。
 上屋の梁間(叉首の下弦材となるウスバリの長さ)は一般に3間から4間ですが、規模の大きなものでは6間以上に及ぶものもあります。多くの場合、片側または両側に半間の下屋を設けて梁間をさらに拡張しています。この場合、梁間中央付近に桁行方向に架かる牛梁と側柱の間に、チョウナバリと呼ばれる根曲材の梁を架けて、上屋柱を抜いて下屋を室内に取り込む工夫をしています。

軸組部の構造

合掌造りの軸組部の写真
チョウナ梁(雪の重みで根元が曲がって育った根曲材)で下屋を取り込む

 チョウナバリは、雪深い急傾斜地のために根元が曲がって成長した樹木をりようしたものであり、土地の気候風土によって得られる資材を有効に活用し、構造力学的にも優れた利用法です。

 桁より下の構造的な特色としては、一般的な民家に比較して柱や梁等の部材が太く、また、時代が下がるものでも側廻りや部屋堺の柱は1間または1間半毎に立て、貫を密に入れるなど、全体に堅固に造られていることです。これは大きな屋根とそこに積もる雪の荷重に耐えるためのものといえます。

合掌造りのチョウナバリのイメージ図
チョウナバリが棟通りの梁の両側に架かっている例

小屋組の構造と屋根

屋根下地の構造を表した図

小屋組の構造と屋根

 小屋組は、水平に組まれた桁と梁の上に1間毎に叉首台を並べ、その上にそれぞれ1組の叉首(ガッショウ)を組みます。叉首尻(コマジリ)は細く削って叉首台(ウスバリ)の両端部にあけた穴に差し、先端の組み手は相欠きとしてマンサクの木で縛り、組手の上に棟木を乗せます。勾配は60度に近い急勾配としますが、建築年代が古いものほど緩く、新しいものほど急になる傾向が見られます。叉首台上には木や竹の簀子、あるいは板を並べて床を造り、小屋内が利用できるようにしていますが、さらに、叉首によって造られる作三角形の空間を2~3層、規模の大きな家屋では4層に分けて、高度な利用を図っています。小屋内の利用は主に養蚕の作業場にあてるためです。

小屋組みの屋根の写真
叉首にガッショウバリを架けて屋根裏を有効活用しています。

 小屋内に層を造る場合には、ガッショウバリと称する水平材を叉首にさして鼻栓で留め、その上に簀子を並べて床を造っています。妻は板壁としていますが、通風と採光のために窓を開けて明り障子などの建具を建てます。叉首の上には丸太の横材(ヤナカ)を置き、垂木(クダリ)を並べ、葭簀(ヨシズ)を張って茅葺きの下地とします。なお、切妻造り屋根の構造上の弱さを補うために、叉首の外側または内側に大小の数組の筋違い(オオハガイ・ハネガイ・コハガイ)を襷にいれています。

明り取り障子窓の様写真
明り取り障子窓が独特の景観を作りだしています。

―― コマジリとウスバリに見る合理的な構造

 合掌造りの叉首尻はコマの先のように尖らせているため「コマジリ」と呼ばれています。コマジリは叉首台に掘られた窪みに乗せているだけで、これが結果的にピンに近い接点を造り、屋根と小屋組みからの曲げモーメントが軸組部に伝わりにくい効果を生み出しています。一方、コマジリが乗る叉首台は「ウスバリ」と呼ばれ、ウスバリの両端に乗るコマジリが突っ張ることで生じる引っ張り力を受けるためだけの材であるため、材の厚みが3寸(9㎝程)と薄く造られています。このように合掌造りを細かく見ていくと構造力学が明確に理解されて造られた当時の技術を随所に見ることができます。

コマジリとウスバリに見る合理的な構造を表した図