五箇山合掌造り
集落保存のあゆみ
五箇山における合掌造り集落の保全
五箇山の合掌造り家屋は、塩硝や養蚕などの産業によって安定的に維持されてきましたが、戦後の社会生活の近代化や経済発展などの影響により、昭和30年代から40年代にかけてその多くが姿を消していきました。このような時代の流れの中、相倉・菅沼合掌造り集落は、合掌造りに価値を見出し、集落を保存しようと決意した住民や行政をはじめとする関係者の尽力によって今日まで守られてきました。
平成6年に重要伝統的建造物群保存地区に選定、平成7年には岐阜県白川郷とともに世界文化遺産に登録され、先人たちが残してきた合掌造り集落の文化的価値が高く評価されることとなりました。
現在は、両集落を中心に組織された顕彰会や保存団体が主体となり、先人たちが大切に守りつづけてきた価値を次の世代に伝え、残していくための様々な取り組みが行われています。
――保存運動のおこり
明治期末期の五箇山では、大半の住宅が合掌造りでした。しかし昭和5年の小牧ダム完成を皮切りに進められた庄川上流での電源開発によっていくつかの合掌造り集落がダムの底に沈み、さらに、戦後の日本における経済発展や社会生活の近代化も影響し、合掌造り家屋の数は少しずつ減少していきました。
五箇山に限らず、民家が全国で急速に失われていく状況を深刻に受け止めた国(文化財保護委員会、後の文化庁)は、昭和26年から県を通じて民家の全国調査を実施しました。その結果、特に古民家が集中していることが分かった岐阜(荘川村、白川村)、富山(五箇山)、石川(果下)、宮崎(推葉村)の5地域については文化財保護委員会が直接調査を行いました。五箇山においては昭和26 年と昭和31年の2回にわたり調査が実施されています。その調査内容を踏まえて、合掌造り家屋の中でも特に代表的な岩瀬家(旧上平村西赤尾)、村上家(旧平村上梨)、羽馬家(旧平村田向)の3棟が昭和33年に国の重要文化財に指定されました。
また、現地調査の結果、昭和26年9月からの約4年半で平村の合掌造りが約24%減少していることが判明し、急速に合掌造り家屋が失われている実態が明らかになりました。この状況を受け、合掌造り家屋の価値を見直す動きが加速し、旧平村と旧上平村では、比較的保存状況が良好であった相倉集落と菅沼集落の保存に向けた取り組みが始まりました。

発電所の上に合掌造り集落が見える
(昭和7年頃。小寺廉吉氏撮影)

昭和31年ころの相倉集落(小寺廉吉氏撮影)

昭和34年ころの菅沼集落(小寺廉吉氏撮影)
――国の史跡指定
当時の建造物保護制度では、複数の建造物が集中している場合でも一棟ごと個別指定して保護することが基本とされており、集落や町並みを全体的に保護する手法は確立されていませんでした。
こうした中で、相倉・菅沼集落については、文化財保護委員会から「史跡指定」によって保護する方法が示されました。これを受け、昭和41年3月に上平村長が菅沼集落住民の同意書を添えて史跡指定を申請し、同年7月には平村長が相倉集落住民の同意書を添えて史跡指定を申請しました。その結果、文化財保護委員会専門審議会で審議され両集落を史跡として指定することが適当であると採択され、指定が内定しました。そして、昭和45年に正式に史跡に指定されました。
これにより、両集落での合掌造り家屋は解体や大規模改修が制限され、長期的な保存が可能となりました。史跡指定以後の昭和48年には、文化財保護法に基づき、相倉集落は平村が、菅沼集落は上平村が管理団体に指定されました。その後、平成16年の町村合併により、管理団体は南砺市へと引き継がれ、現在に至っています。

――世界遺産登録と重要伝統的建造物群保存地区選定
昭和50年の文化財保護法改正により、伝統的建造物群保存地区制度が導入されました。この制度は、周囲の環境と一体となって歴史的風致を形成している建造物群を面的に保護することを目的としており、これによって伝統的建造物群とその周囲の歴史的環境という広がりを持つ対象を保護するための手法が確立されました。
当時、白川郷は伝統的建造物群保存地区(伝建地区)として、五箇山は史跡として、それぞれ異なる制度で保護が図られていました。しかし平成7年の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の世界遺産登録に際し、保存手法を統一する観点から、旧平村・旧上平村では伝統的建造物群保存条例と保存計画を策定し、平成6年12月には重要伝統的建造物群保存地区として国の選定を受けました。

――相倉・菅沼集落の保全事業
史跡指定後、昭和42年に「相倉史跡 保存顕彰会」が、昭和60年に「越中五箇山菅沼集落保存顕彰会」がそれぞれ設立されました。これにより、集落住民が中心となって自主的な保存活動が展開され、管理団体である南砺市への要望活動が行われているほか、また、集落の景観整備や茅場の造成事業なども継続して実施されています。
さらに、世界遺産登録後には、来訪者の受け入れ管理や集落環境の保全、後継者育成などを目的とする組織が発足しました。平成10年には「財団法人世界遺産相倉合掌造り集落保存財団」が、平成18年には「菅沼世界遺産保存組合」がそれぞれ設立され、集落内の駐車場や民俗館の管理、空き家の維持管理などを通じて、保存と活性化に取り組んでいます。
――五箇山全体における合掌造り家屋の保存事業
昭和40年代以降、重要文化財や史跡以外の合掌造り家屋についても保存が進められるようになりました。
富山県教育委員会は、平成10年に羽馬家(小瀬)を文化財に指定したほか、茅葺き文化の遺構とされる「寿川の念仏道場」(五箇山の念仏道場)や「旧上中田念仏道場」についても文化財指定を行いました。
旧平村では、平成3年に空き家となっていた合掌造り家屋を改修し、「こきりこ唄の館」(現在の五箇山総合案内所)として活用しました。この事業は「森とこきりこ文化の郷づくり委員会」が主体となって進めたものです。さらに、平成9年には「道の駅たいら」内に大型の合掌造り家屋を新築し、和紙体験館「五箇山和紙の里」を開設しました。
旧上平村では、昭和44年に「行徳寺庫裏」とその茅葺き山門を文化財に指定しました。また、昭和47年には菅沼集落の近くに「五箇山合掌の里」を整備し、村内各地から合掌造り家屋を移築しました。
旧利賀村では、昭和40年代後半からは村内各地の合掌造り家屋を移築して「合掌文化村」(現在の「富山県利賀芸術公園」)を整備しました。

旧上中田念仏道場(県指定文化財)

行徳寺の山門と庫裡(市指定文化財)
相倉集落・菅沼集落の保全年表
1966(昭和41年) | 3月 | 上平村が国に菅沼集落の史跡指定を申請し内定を受ける |
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7月 | 平村が国に相倉集落の史跡指定を申請し内定を受ける | |
1967(昭和42年) | 相倉史跡保存顕彰会設立 | |
1969(昭和44年) | 上平村が菅沼集落で五箇山民俗館を開設 平村が相倉集落で民俗館(現民俗館2号館)を開設 |
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1970(昭和45年) | 12月 | 相倉集落・菅沼集落が国史跡に指定される |
1971(昭和46年) | 平村が相倉集落で民俗館1号館を開設 | |
1973(昭和48年) | 3月 | 富山県が相倉集落・菅沼集落を含む平村・上平村の一部を五箇山県立自然公園に指定 |
4月 | 相倉集落は平村、菅沼集落は上平村が史跡の管理団体となる | |
1977(昭和52年) | 12月 | 平村が相倉集落保存管理計画を策定 |
1978(昭和53年) | 3月 | 上平村が菅沼集落保存管理計画を策定 |
1985(昭和60年) | 3月 | 越中五箇山菅沼集落保存顕彰会設立 |
1989(平成元年) | 7月 | 上平村が菅沼集落で塩硝の館を開設 |
1994(平成6年) | 7月 | 平村が平村伝統的建造物群保存地区保存条例を施行 上平村が上平村伝統的建造物群保存地区保存条例を施行 |
8月 | 平村が相倉集落、上平村が菅沼集落を伝統的建造物群保存地区に指定 | |
12月 | 相倉集落・菅沼集落を重要伝統的建造物群保存地区に選定される | |
1995(平成7年) | 12月 | 「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が世界遺産に登録される |
1996(平成8年) | 3月 | 平村が相倉集落保存管理計画を策定 上平村が菅沼集落保存管理計画を策定 |
1998(平成10年) | 7月 | 財団法人世界遺産相倉合掌造り集落保存財団設立 |
2004(平成16年) | 11月 | 町村合併により南砺市が誕生。相倉集落・菅沼集落の管理団体となる |
2006(平成18年) | 12月 | 菅沼世界遺産保存組合設立 |
2007(平成19年) | 3月 | 菅沼集落に展望広場・エレベーター施設・駐車場を整備 |
2012(平成24年) | 10月 | 南砺市五箇山世界遺産マスタープランを策定 |
2016(平成28年) | 12月 | 南砺市五箇山景観計画を策定 |
2020(令和2年) | 3月 | 国指定史跡 越中五箇山相倉集落 越中五箇山菅沼集落 保存活用計画を策定 |
2025(令和7年) | 3月 | 南砺市五箇山世界遺産マスタープランを改定 |